2016年3月18日金曜日

神戸港震災復興メモリアルパーク②

今回私は、メモリアルパークを管理している神戸港振興協会の坂本さんと西さんにお話を伺った。

神戸港振興協会はポートタワーなどの管理も行っていて、神戸港の観光をバックアップしている団体だ。
坂本さんは、当時の様子を振り返って、こう語る。

「震災発生当時は観光をメインにしていたメリケンパークも、震災後すぐは観光船を出す余裕はなかったねえ……
当時の港は、救援物資などを届ける船や、被災者が四国や大阪へ向かう交通船の発着地として活用されてたかな。ポートタワーも、半年間は開けられない状況だったよ」

震災を経験していない私は、現在の神戸の風景から、その時の港の状況を想像することができず、お話を聞いて驚いた。
しかし、そういった経緯を経て、今の神戸があるんだと知った。

メモリアルパークは、震災から2年後の1997年に現在の形となった。メリケン波止場の神戸港の被災状況やその復興の過程を中心に、震災の教訓と港の重要性、さらに国内外の多くの人が一体となって港の復旧、復興に努めた様子を後世に伝えることを目的として作られた。

モニュメントや復興の記録が書かれた展示がある復興ゾーンと、被害を受けたままの状態で保存してある保存ゾーンに分かれている。

復興ゾーンは震災発生時からの、復興へ向かう歴史年表や当時の写真が展示されていて、神戸港一体の被害・復興の様子を伝える映像も流れていた。

保存ゾーンはメリケン波止場の被災部のうち、約60メートルの区間を当時のままの形で保存し、周囲には回廊を設けていろんな方向から見学できるようになっている。




メモリアルパークを訪れると、校外学習と思われる中学生の一行や外国人観光客が見学していた。実際に震災を体験したことのない人にとってこのような風景は衝撃的なのではないだろうか。
地面がこんなにも割れてしまうものなのか……。映像や写真で見るよりも、被害を受けた場所を実際に見る方が、その被害の大きさ・震災のむごさなどが伝わってきた。

公園のように自由に立ち入り、見学をすることができるメモリアルパーク。
普段、どれぐらいの人が訪れるのか気になり尋ねると、西さんは「具体的な数はカウントしていないけど、年々増えてきているかな」とおっしゃっていた。

日本語・英語・中国語・韓国語で書かれた説明板


近年は特にアジアからの観光客が多くなってきたようで、説明板の言語も当初は英語だけだったが、中国語・韓国語でも書かれるようになったという。世界中のひとが社会見学の場として訪れることができる。

港は世界とつながる窓口であるが、震災はそれと同じように世界へ向けて発信されるべき出来事だったのだと思う。

現在は神戸随一の観光スポットとして多くの観光客が訪れるメリケンパーク。夏にはみなとまつりというお祭りや、大規模な花火大会も行われていて、この場所を馴染み深く感じる神戸市民も多い。さらに、来年の1月で開港150周年を迎えることで、さらに注目されることだろう。
その一角に、神戸の歴史がそのままの形で残っている。神戸を観光に訪れた際には、ぜひこのメモリアルパークを自分の目で見て、感じてほしいと思う。





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