5時46分を直前に、会場にアナウンスが流れてきた。
「1.17希望の灯り 1995年1月17日午前5時46分 阪神淡路大震災
震災が奪ったもの 命 仕事 団欒 街並み 思い出
…たった1秒が予知できない人間の限界…
震災が残してくれたもの やさしさ 思いやり 絆 仲間
この灯りは奪われたすべてのいのちと
生き残ったわたしたちの思いをむすびつなぐ」
これは東遊園地にある希望の1・17希望の灯りのモニュメントに刻まれている言葉だ。
アナウンスはこの言葉だけで、他には何も語ることはなかった。そして、時報が時を刻む。
ピッ、ピッ、ピッ…
という時報の音。
「5時45分50秒を お知らせします」という機械的なアナウンス。
神戸のまちは次第に静寂に包まれていく。そんな気がした。
ピッ、ピッ、ピッ……迫ってくる、あの時間。
「5時46分 ちょうどをお知らせします」
「黙祷―――。」
その場が静まりかえった。深い静寂。こんな言葉がぴったりだった。
涙を流し、手を合わせる人々。その中にいると自然と涙が流れた。自分が体験してきたわけではないけど、会場にいるひと、そのひとたちに想われるひとのことを想うととても切ない気持ちになった。
多くの人で列ができる献花台
1.17希望の灯り モニュメント
今年、新成人となった神戸市民は全員が震災後の生まれだ。これからは、経験していない私たちもこの出来事を語り継いでいかなければならない。普段の日常で、震災のことを思うことは少ないが、1月17日という特別な日には神戸のまちに起きた悲しみ、そこからの復興へと向かった希望の灯りがあったことについて想ってほしいと思う。
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